No.133
コイズミアヤ 展 「容量と天体」 (立体)
2014年7月23日(水)〜8月3日(日)  7月28日(月)休



空間のことを考えています。心の中の空間と外の空間の関わりを思い、度々箱のかたちの作品をつくってきました。

箱の中が心の中で、外が外界というような単純な関係ではなく、何か現実と併走している別の場所、空間を用意するということです。


長岡に越してきて数年。それは空間を(建築的に)「測る」から、(液体として)「量る」へと違う視点を運んで来ました。

あの降り続く雪の様、空気中の水がずっと変容し続けていて、はかることの具体的な手掛かりと不可能性をぐるぐると回ってしまう。

土地が平たくて、雲が大きく近いことも、空間を器のイメージへと向かわせ、私に「天体」の上に生きていると知らせてくれました。


写真は『ギフト』(
=グウィン 著・谷垣 暁美 訳・河出文庫)の物語の部分を小さい紙片に切り刻んでばらばらにし、糊で貼りつなげているものです。

他に木の彫刻、写真などを出品します。


(コイズミアヤ)





文庫本を切り刻んだ小さな紙片をまた貼りつないで立体を作るという途方も無いゴールの見えない作業は、はてしなく膨張する

宇宙の拡がりにも思える。
手作業だけでどこまでも丸い球体を作ろうとする木彫は、自らの立つ天体の丸さをじっくり肌で感じようとしているのだろうか。

代表的な仕事である箱のシリーズが異界の内部に分け入って測量し分析し確認しようとする作業だったとするなら、今はまるで神の目線のごとく遠くから俯瞰してその把握しきれない空間の全体像をさぐろうとしているかのようだ。

でも彼女の変化はその視点の取り方の違いではない。
さぐりながらもそのままわからないまま、ぽんっとそこに置く。

ありのまま受け取ってみる、それが今彼女の達した境地ではないのだろうか。
意味を意識的に打ち消すことで、より明瞭になってくる何ものか。

何かが静かに私に語りかけてくる。
私はすでにわかっている。

物語を切り刻むことも、それを手のおもむくままに立体に再構築するという行為もすべてメタファーだ。

失われたはずの物語は本という体裁すら取り払われ、不明な新しい形の中でしかし今も語り続けている。






コイズミアヤ

1971 東京に生まれる

1994 武蔵野美術大学 空間演出デザイン学科卒業

新潟県長岡市在住



コイズミアヤの作品と制作ノート






























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